月一回ヨガに通い始めたんだけど
Satya yogaに通ってくださる方は、お仕事を持っている方も多い。
毎週通うのは難しくて、それでもヨガをやっていたいという方々がたくさんいらっしゃいます。
こんなシチュエーションを想像してみましょう。
Bさん「あら、うふふふふ・・・
随分少ないのねえ?」
ありそうなシチュエーションです。
Bさんは、Aさんよりヨガの先輩のようです。
そしてBさんは一週間に何度もスタジオに通うほど熱心なヨギニ。
対するAさんは、仕事と家事の合間を縫ってヨガに通っています。
Bさん、Aさんよりヨガやり込んでますよね。
ヨガのレッスンにたくさん通うこと
ヨガは、一生続ける行です。
いってみれば、生きている間ずっと行うもの。
当然、ヨガのレッスンに通う回数が多ければ、それだけヨガの道に励んでいることになりそうです。
BさんはAさんより、熱心にヨガを行なっています。
Bさんもそう思っているように見えますね。
「うふふふ・・・」の行間を読んでみましょう。
「あらら、一ヶ月に一回??」という思いが潜んでいそうです。
つまり、自分のヨガの回数と相手のヨガの回数を比べているということです。
さらには、優越感すら抱いているかもしれません。
熱心にヨガスタジオに通っているBさん。
実はヨガスタジオで、ただのヨガ的エクササイズに励んでいるだけなのかもしれません。
ヨガの目的は、「心の動きの止滅」。
誰かの行いを見て「うふふ」と思う心は、どうもヨガからは少し遠いようです。
ヨガは回数ではなく、質なのです
ヨガのポーズを行い、呼吸法を取り、瞑想をする。
このセットを朝に昼に晩に行いながら、残りの時間を聖典の学習と労働に当てる。
それが「正しいヨギーのあり方」です。
しかしヨガのポーズすらも、心の平穏を保つ手段でしかありません。
ポーズをとることが最優先ではないのです。
Bさんは確かにヨガスタジオに熱心に通っていらっしゃいますが、人を見て「うふふ」と思うのならば、ヨガを行なっているとは言えないのです。
Aさんは自分の生活の中で可能な回数、ヨガを楽しもうと決めていらっしゃいます。
その心は、間違いなくヨガ的な心。
自分の生活の質を、自分の行い(=ヨガに通うことも含め)で高めようと思っている心が、ヨガ的なのです。
ヨガフリークは『ラジャシック』な心に注意
ヨガのプログラムに何回も通うほど熱心な、ヨガフリークの方に気をつけていただきたいことがあります。
「熱心」は「過剰」とは違います。
フィットネス依存症という言葉を聞いたことがありますか?
スポーツクラブに通い、体を引き締め鍛えることに依存してしまう心の病です。
ヨガ的エクササイズも同じこと。
過剰にならないように。
「過剰」な行動は、心に「激質(ラジャス)」を高めてしまいます。
ラジャシックな心は、攻撃性や批判精神を高めます。
特に「熱」はラジャスな心を煽ります。
ホットヨガ、パワーヨガの通いすぎは要注意です。
Bさんはこの二つに通っていたのかもしれませんね。
月一回でも良いのです
絶対的なヨガの回数としては月一回は少ないのは確かですね。
ただし、ヨガはポーズだけではありませんし、ヨガのレッスンに通うことも含め生活を整えることが、ヨガの行いなのです。
心を平和に、周りの人と穏やかに接せられるように自分を整えることがヨガ。
回数で比べられることではありませんね。