バレンタインデイの今日(2016年2月14日)、愛に生きることを誓いたくなるヨーガのお話を。
暗いニュースが続きます。
我が子を虐待するニュース、元伴侶を傷つけ、その家族を殺傷するニュース、芸能人のプライバシーを暴き社会的に抹殺するニュース。
この国の未来を憂いてしまうようなニュースが立て続けに報道されます。
「こんな世の中に子どもを産み落とすことが怖い」そういう方もいる。
しかし、間違いなく私たち人間には希望があるのです。
私たちは進化するためにこの世に生まれてきた、というのがヨーガの考え方です。
人間性を高め、平たく言えば「もっといい人・もっといい世の中にする人」になるためにシステムとして組み込まれた命なのです。
そのため必ずこの世の中は、良くなるのです。
何気なく見ていたFBのタイムラインに飛び込んできた記事で、「ああ、科学も追いついてきたな」と思いました。
2014年9月の産経新聞ニュースです。
しかし、決してそうではなかった。
脳を動かしているのは、自分の心であり、意識だ。
脳はテレビやラジオの受信機のようなものであり、心や意識が真の創造者である。
村上先生のおっしゃる通りのことが何千年も前のヨーガ行者によって言い伝えられているのです。
ヨーガ哲学では五鞘理論といって、生命を5つの段階に分けて捉えています。
一番奥の魂が、私たちの本質であり、その魂には「悪」「間違い」はありません。
一段一段外側に向かって、理性→心→気→肉体と衣を重ねて出来上がるのが私たち生物です。
一番内側の魂から端を発し外側へと展開していった私たちは、あらゆる「経験」を重ねて「間違った考え」を積み重ねてしまいます。
本来は持たなかったはずの「怒り」「悲しみ」「妬み」「愛着」「執着」「嬉しさ」という感情が発生し、感情に伴って次の感情が生まれる。
感情を持つ生命同士がふれあい、ぶつかり合って争いが生じる。あるいは強い結びつきが生まれる。
この「間違い」を剥がしながら、また一歩一歩奥へ「間違い剥がし」の旅を続け、最後に元の出発点である「魂」にたどり着くのが、私たち生命に与えられた使命なのだと私は考えます。
もともと完全な存在である「魂」が本質ならば、私たちは生まれる必要がないでしょう。
しかしわたしたちは生まれています。
上の記事で取り上げた「サムシング・グレート」人間の意志の他のもっと大いなる存在が、私たちに経験を積むことを課しているわけです。
つまり、人生は苦労があって当然。
努力し、研鑽し続けるように設計されているからです。
その辛さや先の見えなさは、私たちが平和な境地に至る道筋として設計されているということも。
どんなに辛い、苦しいことがあってもそれは人生のタスクです。
絶望せずに、ひたすら寿命を全うするまで(人によって長さは違います)懸命に正しくあろうと努力することにこそ、私たちの命の意味があるんだと信じています。
その弛み無い努力を支えるのが、正しさに対する愛なのです。
自分への、周りへの愛を杖に生きろ、それが正しい道。
勇気と安心を持って、毎日を送っていきましょう!!