ヨガの歴史・yogaって名付けられたのはなぜ?

ヨガはいつどこで始まったの?

ヨガの起源は諸説ありますが、
日本におけるヨガ哲学第一人者・佐保田鶴治氏によれば

「起源前3000年から1500年位の間に栄えた
インダス文明時代まで遡ると言えるであろう」

ということ。

インダス文明とは、インドで起きた
文明のこと。

数字のゼロの発明があったり、
モヘンジョ=ダロ、ハラッパーなど
古代遺跡が築かれた文明です。

文字もあったので、記録に残されても
いるのですが、残念ながらインダス文字は
解読されていません。
ですから、ヨガがいつどこで、誰が始めたこと
なのかは、はっきりはわかっていません。

yogaという言葉が初めて書物に登場したのは

さて、日本においては「ヨガ」と表記されることが多い
「yoga」ですが、本来の発音に近いのは「ヨーガ」。

この語が書物で発見できるのは、リグ・ヴェーダという
(世界史で習った!)古代インドの祭礼についての書物
なんですね。

「馬を馬車に繋ぐ」という意味で使われています。

え?
なんで馬?馬車?
全然ピンときませんね💦

なぜ馬を馬車につなぐことが、

ポーズ(アーサナ)
呼吸法(プラーナヤーマ)
瞑想(ディヤーナ)
読誦(マントラ)

を伴う一連の「ヨーガ」行法を指すようになったんでしょう?

紀元前700年ぐらいには、yoga=ヨーガ行法になった
と考えられます。
ブッダにより仏教が開かれたのが、紀元前550年くらいなので、
それより1、2世紀前のことになりますね。

ポーズ、呼吸、瞑想のヨガになった流れ

「馬を馬車に繋ぐ」言葉が「ヨーガ行法」
を指すようになったのでしょうか。

ヨーガ(ヨガ)の目的は
Chitta Vritti Nirodhah」(チッタ・ブリッティ・ニローダ)
とされています。

「心の動きを止滅させること」と訳せます。

ヨーガの目的は
「五感(見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触る)
に引きずられず心を静止させること」
だからです。

喜びも悲しみも、心を乱すもの。
だから悲しいことがあっても
嬉しいことがあっても、
同じ心境で心を平静に保つのが
真の幸せ、とヨガでは考えます。

ん?でもだからなんで馬に繋ぐの??
まだよくわからないですね。

「御者がいない馬車」がどうなるか、考えてみましょう。

草を食んだり、寄り道したり。
目的地にはつかないですよね。

隣の馬と隣の馬が別の方向に
暴走してしまうかもしれません。

「馬」を「体の感覚」と置き換えてみましょう。
「御者」を「心」とします。
草を見ちゃったり、水を見ちゃったりしたら
そっちにすぐ行ってしまう。

体って、同じなんです。
今、すごく集中しなきゃならないとする。
で、どっかからすごーくいいあまーい
香りがしてきた。

ん?ケーキが焼きあがった?
ああ、わたしケーキ食べたいな・・・
ケーキ??
そういえば、近所に美味しいパン屋さん
できたな。
後で買いに行こう!

こんな風に、一つの感覚(匂い)が
刺激を受けたことで、
パンを買いに行こう!
まで頭が動いてしまいました。

人の意識は、かくも簡単に
動いてしまうのです。

ましてや、感覚は5つもある。
馬車を引く馬が5頭いて、それぞれ
勝手に走り出すとしたらどうなる
でしょうか。

心が体の感覚をしっかりと繋ぎとめておかないと、
人は感覚におぼれてどこまでも暴走してしまう、
ということを、インドの人は昔から

「人間は快楽に流されやすいものである。
だから強い心をもって、律しなければ
まっとうな人間として生きられない」

ということを、知っていたのですね。

動揺しない心、快楽に流されない心を保つのは、難しい。
だから、いろいろな方法で心を磨く修行が必要なのです。

そんなこんなで、落ち着いた動揺しない心を保つための行を、
「馬を馬車につなぐ」yogaという名前をつけたのです。