バガヴァッド・ギーターを読む
ヨガの聖典、バガヴァッド・ギーターを紐解く不定期連載。
私たちが日常生活でバガヴァッド・ギーターを活かすためのエッセンスをお伝えします。
バガヴァッド・ギーターは、主人公であるアルジュナが、親戚との戦いの前に迷いを生じ、戦うことを止めようとするくだりから始まります。
軍師クリシュナは、実は神の化身なのですが、戦いをためらうアルジュナに戦うことの意義を通して宇宙の真理を説くのです。
まず第1章から、『なぜアルジュナは悩み始めたのか』を解説します。
イケドンだったアルジュナ
最高の射手として誇り高きアルジュナ王子は、戦いの前に敵陣をよく見ようと意気込みます。
軍師クリシュナに「敵軍を見渡したい」と頼むのです。
クリシュナは「敵方の陣営を観よ」と告げ、アルジュナの戦車を前に引き出します。
そこでアルジュナは、自分が戦おうとしている敵は自分の親類や尊敬する師匠たちであることに初めて気づくのです。
そして戦意を失い、弓さえ取り落として呆然とします。
いえ、もともと敵は誰かアルジュナは知っていました。
でも絶好調、やる気満々、イケイケどんどんだったアルジュナは、興奮状態。
敵についてしっかりと意識することがなかったのです。
「敵軍を見た」としても、アルジュナは「本当の意味で観る」ことはできなかったのです。
しかしクリシュナが「敵方の陣営を観よ」といった言葉で、初めて気づくのです。
『見る』の意味を知ること
アルジュナが言った「見る」
クリシュナが言った「観よ」
この意味は違っているわけです。
アルジュナは単に見る。
クリシュナは「観る」=物事の本質をしっかりと見極めることを指しています。
ですから、アルジュナは雷で打たれたように、自分のしようとしていたことの意味を知ることになるのです。
私たちも、「見る」ことはしていても「観る」ことはなかなかできません。
ことの直前になって、ようやくその意味を理解して取り乱すアルジュナは、私たちの姿ですね!
人間の限界から始まる、バガヴァッド・ギーターの教え
英雄で、一族を率いる立派な人でも、初めから深い考えには至れません。
さりげなくダメさ加減を思い知らされ、ヨレヨレになる。
絶望して、立ち上がれないほど打ちのめされた先に、アルジュナは学びます。
そんな人間の限界を知らされるから、私たちは本当に大切なことを学べるのです。
私たちもアルジュナと一緒に、限界知ってからそれをを超えてより自分を高める方法をギーターに学んでゆきます。