羽生選手、おめでとう

先ほど終わった、平昌オリンピックの男子フィギュアスケート。

2ヶ月前の大怪我を乗り越えて、羽生結弦選手が金メダル!

素晴らしい結果です。

大変に素晴らしい身体能力、努力、そして精神力を持った羽生選手だからこその結果ですね!

では、4年前のソチオリンピックで浅田真央さんがメダルを逃したのは、それが足りなかったからでしょうか?

浅田真央さんは何が足りなかったのか

実力、経験ともに羽生選手以上のものを持っていた浅田真央さん。

期待を一身に背負って出場した2つのオリンピックでは、惜しくも金メダルを獲得できませんでした。

真央さんが金メダルを取れなかったことの方が不思議なほど、実力を備えていた選手です。

先日ちらっと見た占いの記事で、「浅田真央さんは天中殺の時期だから金メダルに届かなかった」などとしたり顔で語っているものもあったくらいです^^;

私が考えますに、浅田真央さんと羽生結弦選手の違いはない。

どの世界でも、トップ オブ トップの人同士の違いはないのです。

でも、「金メダル」を取れるかどうかの結果に違いが出るのは、「そうなったから」に尽きるのです。

別に原因はないのです。

ただ、そうなる流れだっただけ。

人には自分の努力でどうにもできないことは、いくらでもある。

そういうことなのです。

金メダルを獲れること、獲れないこと

新横浜に住む私は、新横浜に拠点を置いていた浅田真央さんとすれ違うことがありました。

真央さんだけでなく、他のトップスケーターともすれ違うことが多々あります。

真央さんに感じるのは、「力の抜けた感じ」。

綺麗ですし可愛いですし、人目を引くのですが「特別感」は漂わせていないのです。

自然体といいましょうか・・・。

真央さんはきっと誰よりも努力をしてきた人。

「結果」を出せて当然ですし、ご本人も「金メダル」を獲りたい、獲れるはずと思っていたことでしょう。

ですが、どこかで「金メダル」に類する「結果」を手放したのでしょう。

大好きなスケートを滑り、見るものを魅了すること。

シンプルにそこが真央さんの求めるものになったのでしょう。

自分のやることをやって、それ以上は自分の関知できることではない。

1度目のバンクーバーオリンピック後の苦しい時期に、その境地に達したのだと感じます。

結果を手放せるからこそ、与えられるもの

人は与えられた状況で、一生懸命に努力すること。

その結果を思いながら、行動するべきではない。

「結果」を放棄して、「行為」すること

ヨガの大切な教えです。

浅田真央さんや、大怪我をおして金メダルを手にした羽生弓弦選手たちは、たくさんの困難を経験した上でこれを実践するようになっている人たちなのです。

だから困難を乗り越えて、大好きなことを続けることができるのです。

だから、私たちは目に見える結果があってもなくても、彼らに魅せられ感動してやまないのです。

オリンピックに出られなくても

私たちのほとんどは、オリンピックに出ることは無縁の人生です。

ですが、羽生選手や真央さんのような生き方をすることは、いくらでもできるのです。

いつも不満いっぱいの人の特徴は「◯◯さんがやってくれない」「私はわかってもらえない」「評価されない」

という思いを抱いていること。

自分がやることをやったら、あとは手放す。

そういう姿勢が身についた時に、満ち足りた人生を送ることができるようになるのでしょう。

目に見える結果がどうであれ。