春本番のお天気です。
4月から新たに社会に出る方もいらしゃいますね。
今日はヨガ講師向けに「ヨガで稼ぐ」ことについて書きたいと思います。
社会に出る=自立して生きる事≒自分で生活費を稼ぐ事
お金を稼ぐ事は、生きていく上で当然の事なのです。
しかしある一分野の職業についている人へ、「そんな仕事に就きながらお金稼ぐなんて、矛盾しない?!」という厳しい意見があるのです。
一言で言うと、「聖職」とされる職業です。
お坊さん、牧師さん、神主さんなど本当の意味で聖職の方。教師。公務員等公職についている人。
移籍によって高額年俸を得たプロ野球選手なども批判されることも多くあります。
なぜ批判されるかというと、「清貧」であってほしいと期待されるから。
願わくは、食べていけるだけの収入で、あとは清く生きてほしいと思われる職業なのでしょう。
ヨガ講師も、そのうちの一つです。
ヨガ講師は、世間から「稼ぐなんてけしからん!!」という批判よりも、自分の中から「私、ヨガで稼ぐなんてけしからん!!」という声が上がるのです。
はっきり言いますと、これはとんでもない間違い。
どんな職業についている人であっても、犯罪や詐欺的な稼ぎ方でなければ収入を得て良いのです。
ヨガを職業としているのなら、ヨガ講師もお金をいただくのは当然です。
その料金を設定するのは自分です。
どんな金額であろうと、葛藤する必要はありません。
500円であろうと、1万円であろうと、それだけのレッスンを自分が提供できる、提供しているという気持ちがあれば良いのです。
私は新卒で証券会社に入り、その後転職して営業事務や秘書業務を担当しました。
その時に「お給料もらって、いいのかな?」なんて考えませんでした。
「基本給もらっているから、残業代なんてとんでもない・・・賞与なんてとんでもない・・・」とも考えませんでした。
なぜでしょう?
労働の対価を受け取るのは当然だから、です。
ではなぜヨガ講師を仕事にしたら、葛藤が始まったのか。
「ヨガで稼ぐなんて、許されるのだろうか」と葛藤する理由に「ヨガは全ての欲望を放棄することから始まる」というヨガの考え方があります。
欲に引っ張られることから卒業するのが、ヨガの目標です。
ですからそのヨガを教えるのにお金をもらうことは、ヨガの道に反しているのではないかと悩むわけです。
私は結構長い間悩みました。
かなり葛藤して、いっそヨガ講師をやめようかな・・・なんて考えたこともあります。
もがきつつ、それでもヨガ講師を続け、ヨガを学び続けいく中でヨガの聖典・バガヴァッドギーターに答えを見つけました。
欲を捨てることを目指すのならば、仕事もなにもかも捨ててただ瞑想しているだけの方がよいのではないか?という問いかけに対しての答え部分なのです。
「仕事を避けて何もしないでいても
人間はカルマから解放されない
出家遁世したからといって
完成の境地に達するわけではない」
「心で感覚を抑えて
あらゆることに執着せずに
私欲なく仕事を遂行する人こそ
まことにすぐれた人物である」
「神の詩 バガヴァッド・ギーター」田中嫺玉訳・TAO LAB BOOKS
つまり、生きている限りわたしたちは生きるための活動をする必要がある。
もし働けるのに働かないで自分で稼げなければ、誰かに施してもらう、誰かが仕事で得たものをせびることになります。
自分を養うためには、お金を稼ぐ必要がある。
だからどんな仕事でもお金を得ることは批判を受けることではないのです。
ただ一点、これも忘れてはならないことがあります。
「もっと莫大なお金を得たい」「お金という力を手に入れて、自分の思い通りに生きたい」という利己的な欲望のために稼ぐとなると、それは自他ともに害をなす仕事となるということ。
ヨガ講師だけでなく、どんな仕事でもそうです。
誰かのため、社会のためになる仕事で対価を得、生きていくのは正しいことなのです。
新社会人さんも、仕事とはどういうものなのかしっかり意識して働いてください。
するとその仕事自体が「カルマヨガ」という行になるのですよ。
ヨガで稼ぐなんて、いいのだろうか?と悩んでいるヨガ講師さん。
その時間で、より喜んでいただけるレッスンを研究してください。
そこ、私みたいに引っかかる必要なないですよ^^